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フォード社にとっては「棚ぼた」のような受注に見えるが、ビッグ・スリーの大フォードにとって中小企業の「ウイリス社」の下請けのような仕事はかなり抵抗のある仕事だった。 「パトロール」という名前がどの時点から使われたのかは不明だが、警察の車としてはもってこいの名前だ。

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写真01-2abc 1943 Willys MB Leep 2007-06 イギリス国立自動車博物館/ビューリー 砂漠仕様を除いては、アメリカの軍用車は「オリーブ・ドラブ」と呼ばれるカラーで塗装されていた。 その後54年から72年までは「UAZ」に移り合計で63万台以上が生産された。

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彼が「ワシントン・デイリー・ニュース」のキャサリン・ヒリアー記者を載せてテストドライブしたあと、車の名前を聞かれ「ジープです」と答え1941年2月19日付けの記事となって一般に広く知られた。 (01)<ジープ> ここに登場する「ジープ」という名称は、正式な「車名」ではない。

参考 1940 American Bantam Pilot Model 9月に納入された試作1号車 軍では1500台を予定したが生産能力の低い「アメリカンバンタム社」には500台とし、「ウイリスオーバーランド社」と「フォード社」に対しては「バンタム」のデーターを基に、それぞれ独自の改良を加えたパイロットモデルの開発を指示した。 1953年2月「ウイリスCJ3A」をベースにした「J1」が完成し3月までに54台が林野庁に納入され、9月までに「J2」500台が保安隊に納入された。

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アメリカでジープの構想がスタートしたのは1940年の事だから、日本の方が5年も先行していた。 戦後世界中にあふれた「VWビートル」が変身した軍用車と言う事は良く知られている。

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この会社はイギリスの「オースチン・セブン」のアメリカ版を造る小規模の小型車メーカーだったが、当時経営不振状態にあり、起死回生のチャンスと飛びついたわけだ。 この車は「最終記念モデル」仕様となっている。

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写真の車は、ウイリス「モデル4-75」の国産版でワゴンタイプとしては我が国のルーツとなる初代モデルだ。 しかしハウスマンはこの言葉は兵隊から聞いたと言っているので、ポパイの漫画の中の「ユージン・ザ・ジープ」から思い付いて彼が創作したわけではなく「ジープ」という名前を広め、定着させる功績があった人だ。 「ユージン」の超能力と、「小型軍用車」の高い万能性が共通点としてとらえられ、車も「ジープ」と呼ばれるようになったという自然発生説だ。

写真の車は千葉県の御宿にある個人のコレクションで、ここは消防自動車専門のミュージアムだ。

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青地に白抜きの「洗」の文字は校章で、たらこ唇の「ピンクのあんこう」がシンボルマークだ。 特徴的だった後席への乗込用ステップが廃止されたのは、対象とした婦人層への配慮だったのだろう。

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これは「ウイリス社」の生産体制の限界を考慮しただけではなく、戦時下で工場が破壊された場合も生産を維持することが考慮された結果だ。 水の泡となってしまったのは中小企業の悲劇だ。

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<中華人民共和国のジープ> 写真09-1abc 1955 Beijing 北京 BJ212 2017-10 日本自動車博物館/小松市 参考)「北京」にそっくりの「トヨタ・ランドクルーザー」 (参考)ソ連の「UAZ469]は「ランドクルーザー」を参考に造られた。 ・「ジープという名前の由来」は諸説ありどれも決定的な確証はない。 写真02-4a 1948 Willys Jeep 2dr Station Sedan 1959-03 静岡市内県庁裏 ウイリスの「ステーション・ワゴン」は1946年から発売されていたが、1948年登場した6気筒のこのモデルに限り「ステーション・セダン」と命名されていた。

少数の試作車を市販して手ごたえを感じたので、三菱での製品化を提案したがこれは実現しなかった。

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(最初から「ジープ」の実績有る三菱に売り込むつもりで三菱の部品で組上げたのだろうが・・) 参考 ホープスターON 4WD 写真13-1abc 1970 Suzuki Jimny 初代 2017-10 日本自動車博物館/小松市 この車の製造権の売り込み先として小野定良が次に選んだのは、かねてから親交のあった鈴木修がいる「スズキ自動車」だった。

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まだ左ハンドルなのでノックダウンで組み立てされたものと思われるが、ボンネットの横に「MITSUBISHI」の文字が見える。

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「VWビートル」はドイツ帝国自動車産業連盟の国民車構想を実現すべく「フェルディナント・ポルシェ博士」によって生み出されたもので、1934年6月契約し、2年後の36年6月には3台のプロトタイプ「VW3」が完成した。

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外見は見る限り相違点が見つからないが、フォードには左脇にシャベルと何か棒状のものが積まれており、大メーカーのサービスの様に感じてしまった。

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幌はオリジナルのジープとは全く異なる仕様で、小型トラックのようだ。 <トヨタのジープ> 写真10-1a 1958 Toyota Land Cruiser FJ25 1958-03 静岡市内江川町通り 1951年から70年も続く「ランドクルーザー」は「クラウン」と並ぶトヨタのロングセラーだ。

戦時中「鬼畜米英」と教え込まれた小学5年生がこわごわと眺めたジープは、ガソリンのにおいと共に忘れられない記憶だ。 40年も前の車とは思えない綺麗さと恰好良さだ。